光陽精工株式会社 社長のブログ

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宮城出張で思うこと ~伝えることの大切さ~

私は年に2度ほど岩手県宮城県茨城県の出張と、神奈川県、岐阜県などを日帰りで周ります。初めて伺ったのはたしか5年ほど前でした。この出張で伺う会社のほとんどが宮城県にあるので宮城出張で感じたことをお話ししたいと思います。

 

宮城県では大抵2泊しますが、目的地は宮城県の仙台の上(仙北)と下(仙南)です。宮城県と言えば東日本大震災で甚大な被害を受けた場所であり、訪問先や通る道も震災の時にニュースで何度も聞いた地名ばかりでした。そして訪問先の社員の方の中には実際にご家族を亡くされた方もいらっしゃるそうです。

初めて行ったときには震災から5~6年経っていましたが「あの辺りは新しい家ばかりだから震災で家が壊れた地区」とか「あの店に行きたいけど震災後もまだある?」とか頻繁に震災が会話に出てきて、宮城の方々にとってどれだけ震災が大きな出来事だったのかを思い知らされました。私は震災時には埼玉にいましたが、それでも帰宅難民や計画停電、度重なる余震など初めての経験ばかりで、生涯忘れられない出来事ではあります。そして経験した未曾有の出来事を私たちは後世に伝える義務があると思います。

8月15日は終戦記念日でしたが、今年は東京オリンピックで戦争や広島、長崎のテレビ番組が少なかったように感じました。第二次世界大戦を経験した日本人は高齢者になってきていますが、だからこそ伝えることをやめてはいけないと思います。従業員の中に私と同世代で沖縄出身者がおりますが、やはり沖縄では戦争は身近なこととして今でも語り継がれているようです。その従業員は私と同世代とは思えないほど戦争を身近な話としてとらえていました。

東日本大震災も戦争もテレビやマスコミの伝える力が絶対に必要ですが、個人的に伝わると聞く側の意識が他人事ではなくなり心に響きます。沖縄の話は戦争を経験していない従業員の話だったのに、テレビの中の戦争を経験した方の話や映像で再現されているドラマより私にはとても心に響きました。震災も宮城の方々とお話しすると、埼玉で経験したにも関わらずテレビの中の話という感覚があったのだということを痛感します。

東日本大震災も今後経験者は減っていく訳ですから「埼玉で経験した震災」「宮城出張で聞いた震災」を伝えていかなければと強く思います。

 

東北出張の話ではなくなってしまいましたが、東北出張のたびに私はあの震災を思い出します。テレビであれだけ衝撃を受けた映像を実際に経験した方たちの話を聞けたことは私にとって仕事以上の財産となり、その話を東京や埼玉に戻って伝えることはきっと私の糧となると思うのです。